考えられるようになることで、コミュニケーションもインプルーブ

それは洗脳のせいだろう?

と、簡単に言い切ってしまう人も中にはいると思いますが

世代、年代によって信じていることが違うと言うことを
詳細にかぎ分けてみないと、
単に

「あれ」

といっても

阿吽の呼吸で、ああ「あれね」とわかることなどなかなかないということです。

20代後半の東京の男性が

「放射能?僕には関係ありません。」

と言い切れる背後には何があるのかと考えるに
関係ないわけはないだろう?と、思う私の世代とは、かなり異なる教育を受けていることに
注目しなければならないかなと思いました。

私の長男が小学生のころ
ある日、学校から帰ってきて宿題をやっていたので
戦争の話になりました。

上野動物園のゾウの花子がやせ細っても芸をするという
哀しいお話の感想文が宿題だったので

私も、たまらなくなって目に涙がうるんでしまいました。

その時、

長男は、私を慰めようとしたのか無邪気にこう言ったのです。

「でも、ママ!戦争が終わってよかったよね。
これもみんな、アメリカが日本のために原爆を落としてくれたからなんだよね。
よかったね、原爆を落としてくれて!」




え?








思わず、頭が真っ白になって
次の瞬間

なんてことを言うの?と
長男の頬をひっぱたきそうになりました。

それをぐっと押さえて



「なんで、そんなこと言うの?沢山の人が犠牲になったのよ。
いつか広島や長崎に行ってみるといい・・・どんなことが起きたのか
その目で見てくるといいよ。」

かなり語気強く言い放った私を見て、息子はまたも無邪気に

「え?ママ、何で怒ってるの?だって学校で先生がそう言ったんだよ。」




え?



先生が?




???



ちょうど、翌日が個人面談の日だったので
先生に尋ねることにしました。

「先生、原爆が落とされてよかったとなぜ教えるんですか?戦争を止める方法が他になかったと子供たちに教えるのはどうなのでしょう?アメリカがヴェトナムに侵略戦争をしかけたことはどうでしょう?そこまでちゃんと教えて、子供たちが判断できるようにして下さい。」

先生のお返事は

「お母さん、ヴェトナム戦争は中学校に入ってから歴史で習うことなので
小学校では教えません。私たちは決められたことを教えているので原爆のことも
私の意見ではありません。」


こんなやり取りを思い出して
なるほど20代の後半の男性であれば、ちょうど息子と同じ世代だから
放射能など自分には関係ないという言葉がすっと出るほどの教育を受けているのねと
理解しました。

理解したということと、飲み込めるかどうかということは
これはまた別のことです。

そういう教育があって、子供たちは何を信じるかが決まってきたわけですから
60年代以降の教育を受けたアラフォーの方たちが

できるか、できないか

良いか、悪いか

に特化して考える癖があるのも、理解できました。

しかし
これも飲み込めません。

考えると言うことを教えるのが教育だったと思っていたのは
多分1955年以前か、その前後の年代だけなのでしょうか?

なんとなく、時代・世代からのアイソレーションを感じてしまう・・・
年齢別に学校教育を受けるから
そういうことになるのか?

昔の路地裏で遊んでいた縦年齢の子供たちのコミュニティがなぜか懐かしく
しかし、縦のコミュニティをFBが提供してくれるわけでもないしねと・・・

苦笑しても

やはり、何もはじまりません。

考えられるようになることで、コミュニケーションもインプルーブするのですから!
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